『ウンコブレーカー』
第1話 ループをブレイクせよ
『ウンコブレーカー』
第1話 ループをブレイクせよ
人間は、毎日ウンコをする。
それは文明がどれほど発達しても変わらない。宇宙開発が進み、AIが人間の仕事を代わりに行い、あらゆるものが自動化された時代になっても、ウンコだけは自分でしなければならない。
ウンコは、食べ物から身体に必要な栄養を吸収した後に残ったものだ。水分や食物繊維、腸内細菌など、さまざまなものが含まれている。
しかし、今回重要なのはウンコがどうやって作られるかではない。
重要なのは、その後だ。
人間が便器にウンコを落とす。
そしてレバーを操作する。
大量の水が流れ、ウンコは人間の視界から消える。
「……消えた」
そう思う。
しかし、消えたわけではない。
ウンコは便器から排水管へ入り、下水道を通って処理施設へ運ばれる。そこで大量の微生物が働く。
人間が捨てた有機物を、微生物が分解する。
水は処理される。
汚泥は別の処理を受ける。
条件によってはバイオガスなどのエネルギー資源にもなる。
そして、処理された水や物質は、形を変えて再び環境へ戻っていく。
つまり、人間が「汚いから捨てた」と思っているウンコは、地球から見れば循環の途中にあるだけなのだ。
ウンコは消えていない。
形を変えている。
人間は毎日、ウンコを地球へ返している。
その循環を支えているものがある。
下水道。
微生物。
汚水処理施設。
そして、その最初にあるもの。
トイレ。
トイレはウンコを循環から切り離しているのではなかった。
むしろ、ウンコを人間の生活空間から安全に切り離し、微生物が働く場所へ送り届けることで、循環を助けていた。
トイレは文明の中でも、極めて重要な装置だった。
だが、ある日、一人の男が疑問を抱いた。
「……じゃあ、ループをブレイクするにはどうすればいい?」
下水処理を止めるのか。
微生物を止めるのか。
下水道を破壊するのか。
いや。
もっと簡単な方法がある。
男は便器を見つめた。
そこには、今まさに流されようとしているウンコがあった。
「ウンコを循環させるから、ループになるんだ。」
男は静かに言った。
そして、トイレのレバーから手を離した。
「だったら――」
一瞬の沈黙。
「流さなければいい。」
ウンコブレーカー。
その正体は、トイレだった。
そしてループをブレイクする方法は――
トイレを流さないことだった。
しかし、ループをブレイクした直後には、まだ何も起こらなかった。
男は便器を眺め、満足そうに頷いた。
「これでいい。」
だが、数時間後。
トイレの周辺から、わずかな異臭が漂い始めた。
ウンコの臭いだった。
当然である。
流していないのだから。
臭いは時間とともに強くなった。
しかも、ただ臭いだけではない。
昨日何を食べたのか、なんとなく分かる。
肉を食べた。
野菜も食べた。
少し脂っこいものも食べた。
そんな情報まで、強烈な臭いが主張してくる。
もし管理AIがこの臭いを分析したなら、もっと正確に推測できるだろう。
昨日の夕食。
その前の食事。
摂取した食材。
消化された栄養素。
腸内で活動した微生物。
そして、最終的に排泄されたウンコ。
人間なら「臭い」としか判断できない情報から、管理AIなら食生活まで完全に予測できるかもしれない。
しかし、男にはそんなAIは必要なかった。
なぜなら、今は自分の鼻だけで十分だったからだ。
一日目。
臭いは、トイレの付近だけだった。
「まあ……これくらいなら。」
男はまだ余裕だった。
二日目。
トイレから廊下へ。
廊下から部屋へ。
家の中に、少しずつウンコの臭いが広がっていった。
「……ちょっと臭いな。」
それでも、男は耐えた。
ループをブレイクしたのだ。
これは偉大な一歩なのだ。
そう自分に言い聞かせた。
三日目。
朝、目を覚ました瞬間に分かった。
臭い。
トイレではない。
部屋全体が臭い。
家中が臭い。
空気そのものがウンコになったようだった。
男は布団の中で天井を見つめた。
「…………。」
昨日までの自分なら、何の疑問も持たずにトイレを流していた。
ウンコは下水へ流れ、微生物によって処理され、形を変え、環境へ戻っていく。
それが文明だった。
それが循環だった。
そして自分は、その循環をブレイクした。
男はゆっくりとトイレを見る。
そこには、三日前から変わらず存在しているものがあった。
「……ループブレークして、良かったのだろうか。」
初めて、後悔の念が少しだけ込み上げてきた。
だが、もう遅かった。
ウンコは、そこにある。
そして臭いも、そこにある。
男は静かに立ち上がった。
「……流そうかな。」
レバーを見る。
手を伸ばす。
しかし、止まる。
「いや……。」
ここで流したら、ループブレイクではなくなる。
男はレバーから手を離した。
そして、部屋いっぱいに広がるウンコの臭いを感じながら、静かに呟いた。
「……ウンコブレーカーって、こんなに辛いのか。」
文明を変えるのは、簡単ではなかった。
ましてや、ウンコの循環を止めるのは――
もっと難しかった。